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解説者オーディション最優秀賞の石塚みず絵さん、今月の国立劇場で解説デビュー

2019年から2020年にかけて開催した「令和記念イヤホンガイド解説者オーディション」。受賞者が決まったのは、今年の4月。予定されていた歌舞伎公演もすべて中止になってしまうという未曾有の事態のさなかでした。

今月11月、オーディションで最優秀賞に選ばれた石塚みず絵さんが、国立劇場の歌舞伎公演『平家女護島 序幕』で解説デビューをしました。石塚さんご本人に、実際に解説者としての活動を経験してみてどうだったか、お話を伺いました。


―本題に入る前に、まずはオーディションを受けることにした経緯を教えてください。

のっけから病気の話で恐縮ですが、2016年4月から難病を患っています。類天疱瘡という皮膚病です。それまでの生活が一変しました。一ヶ月の入院中、予定は全てドタキャンし、退院後は半年の外出禁止。長唄三味線の師範として活動を始めたばかりでしたので、今後の演奏活動にも不安ばかりです。幸い投薬治療が功を奏し、現在病状は落ち着いています。とはいえ、投薬は生涯続けなければなりませんし、その副作用との戦いも続きます。退院後は一日中起きられない日もあり、落ち込む日々でしたが、そんな生活も2年経ち、ずいぶん元気になった去年の6月に歌舞伎座に誘われました。久しぶりにパジャマを脱いで和服を着ていそいそ出かけました。そのときにイヤホンガイドを借りて解説者オーディションのチラシをもらいました。


―募集チラシがきっかけでオーディションを知って頂けたのですね。

実は過去2回のオーディションの時も友人に勧められました。「あなたは説明好きだし、うんちくを披露するのも得意でしょ」と。でもどちらも応募することはありませんでした。2013年の新歌舞伎座記念の時は京都産業大学日本文化研究所の特別客員研究員になり、ちょうど発表した内容を論文にまとめるのに忙しくしていました。国会図書館に通う日々だったので、とても無理でした。また2015年のイヤホンガイド40周年記念の時は長唄杵勝会の「新樹会」という若手勉強会に入ったばかり、舞台で立三味線を弾くことになり、全く余裕がありませんでした。でも去年は、先にお伝えした通りの事情だったので、チャンス到来と感じました。


―今回のオーディションはちょうどタイミングがよかったということでしょうか。

「暇だから応募した」というわけでは決してありません。過去のオーディションも挑戦したいと思っていましたが、諸々の理由で諦めていたのですから、満を持しての応募です。病気になってはじめて良いこともあるものだと思いました。
自分が今までやってきたことの全てが役に立ちそうだし、何よりも大好きな歌舞伎に関わることが出来るなんて、素晴らしいことです。
6月23日の歌舞伎座花篭でのオーディション事前説明会に参加して、現役の解説者の方がたのお話を聞いて、ハードルが高いなとは感じました。でも挑戦こそ我が人生、ダメ元で応募しました。

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↑満を持してオーディションに挑戦し、最優秀賞を受賞をされた石塚さん。


―今月、初めて解説を担当されましたが、いかがでしたか?

まず、解説依頼のオファーに驚きました。オーディション後に試作をしていた『ひらかな盛衰記・源太勘当』がまだ仕上がっていないのに、お話が来たのですから。でもここでお断りする理由がありません。「是非ともやらせていただきます」とお返事しました。
とはいえ、なにより時間が足りません。初日まで3週間ちょっとでした。また滅多に上演されない演目だったので資料も足りません。台本が届いたのは初日の10日前です。新人の私にとっては極限状態でした。


―今は感染症の影響で公演の発表が遅くなっているので、依頼から初日までの期間が通常よりも短く、大変だったと思います。どうやって準備しましたか?

送られてきた資料映像の他に、国立劇場映像視聴室で観た過去の映像が2本、合わせて3本はそれぞれ演出、出演人数、上演時間もずいぶん違いました。どのパターンが来ても対応できるようにとプランAからプランCまで3種類用意して台本が届くのを待っていました。結果、これらを混ぜてかなり省いたような台本だったので、原稿を書くのは早かったと思います。でも、キューの入れどころ(コメントを入れるキッカケ)は舞台稽古を確認するまで自信が持てませんでした。


―解説者の業務は想像していた通りでしたか?想像と違ったところはありましたか?

初日の前後数日は忙しいとは聞いていました確かにその通りでした。でも想像していたより、かなりハードでタイトです。一言一句、推敲して作り上げていくという感じがします。また時間との勝負という部分もあります。体験しなければ分からないことでした。
録音は、コメントを修正する場合でも全てを録り直す必要が無かったところは助かりました。その分、編集作業が大変なのかもしれませんが…。


―今回、とくに苦労したところなどはありましたか?

舞台稽古の時に、台本や衣裳の変更があって大変でした。なんとか完成させましたが…。
初日前日の舞台稽古を拝見したら、清盛の衣裳が予想と違っていたのです。過去の映像3本は全て「おみごろも」を着ていたのでそのつもりで原稿を書いていましたが、舞台稽古で御簾が上がったときには緋色の僧服でした。ビックリして目が点、という状態です。
あの僧服は何と呼べば良いのか、慌てて知り合いの僧侶に尋ねてみましたが、「宗派が違うので分からない」との回答。手元に資料もなくて仕方がなくグーグルに頼り、詳しく記載されたWEBサイトを見つけました。結果、首のうしろに立っているえりは「僧綱襟」(そうごうえり)というのだと分かったのですが、尺の都合で結局そこまでは解説文には入れませんでした。山ほど調べても全てを入れ込まない、捨てる勇気が大切だと教わったばかりでしたので、なるほどこういうことかと身をもって経験しました。


―ほかに、実際に体験してみて気づいたことなどはありますか?

自分の言葉で分かりやすく話すための原稿を書くことの難しさも実感しました。いま開催されている解説者養成講座で、先輩解説者の高木秀樹さんがおっしゃっていましたが、「目で読む原稿ではなく、耳で聞く原稿でなくてはならない。」これが難しいですね。
録音について私自身はあまり緊張することはないのですが、それでも読み間違いやアクセントの間違いが多く、たいへんご迷惑をおかけしました。説明の部分と詞章をなぞる部分とをはっきり分ける、もう少し抑揚を付けるなど、今後の課題を感じました。


―すでに今後の課題を見つけられているとのこと、頼もしいです。

正直とても体力と集中力の必要な仕事だと思いました。たいへん疲弊しましたが、それ以上に達成感があります。もちろん一人ではとても無理でした。ベテランのオペレーターさんや先輩方の励ましのお陰だと深く感謝しています。


―石塚さんご自身が、今回の解説でPRしたいところはありますか?

前説(※)です。 (※注:開演前に放送している前説明のこと。)
イヤホンガイドを借りた人の全てが聞いているわけではないかもしれませんが、時代背景はもちろん、ちょっとした豆知識などをふんだんに盛り込みました。京都検定1級マイスターとして京都については自信を持っています。俊寛がいたという法勝寺についてはもう少し触れたいところでしたが、自粛しました。鹿ヶ谷の山荘があったとされる場所に建っている碑や六波羅清盛館があったとされる場所には現在六波羅蜜寺というお寺があること、そこには重要文化財の平清盛像があること、清盛の別邸が若一神社として残っていることなどもご紹介したかったですが、全てを入れると10分では収まりませんので諦めました。
また、今回の主要登場人物のひとりである有王丸の墓は、友人が「高野山の近くで見たことがある」と画像を送ってくれました。それをヒントに高野山に「俊寛の供養塔があるかどうか」を問い合わせて、前説に取り入れたりもしました。前説を聞いた人がお芝居の世界への想像を膨らませて、京都市動物園(法勝寺があった場所)へ、または高野山へ行ってみようかしらと思ってくださったら嬉しいです。

劇場で放送中の前説と同じものが、こちらでも聴けます。↓↓↓(※公開は11月末で終了しました)


―改めて、今後、解説者として活動するうえでの抱負はありますか?

全く初めて歌舞伎を観る人にとっての助けになり、もう一度歌舞伎を観たいなと感じてもらえるような解説を書きたいです。さらにベテランのお客様には一つでも二つでも「あら、そうだったの」という箇所があればなお嬉しいです。そんな欲張りな解説を書けるようになりたいです。


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以上、今月イヤホンガイド解説者の仲間入りをした石塚みず絵さんへのインタビューでした。解説者としての第一歩を踏み出した石塚さんの今後の活躍にどうぞご注目ください。


☆石塚さんが解説を担当している国立劇場の歌舞伎公演情報はこちら↓↓↓


☆『平家女護島』二幕目の解説を担当している解説者・佳山泉さんが今月の歌舞伎を熱く語るトークはこちら↓↓↓


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