
歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #2
今回の記事は、解説者それぞれが歌舞伎や文楽の魅力の沼にどうやってハマったのかをお話しする記事のシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」をお届けします。
今日のご担当は、鈴木多美さんです。
※記事の最後には、多美さんの持ち込み企画「勝手に深掘り!歌舞伎文楽」についての予告も記載しています。
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文:鈴木多美
エピソード・0(ゼロ)
昔々まだ幼稚園に行く前の頃、白黒テレビで文楽が放映されました。
お姫様か町娘か覚えていませんが、文楽の人形を見た私は両親にあのお人形を買ってと駄々をこねました。文楽人形が購入できると無邪気に思ったのですね。
家のシーツを羽織ってお姫様ごっこをする私は小学校入学後に近所の日本舞踊花柳流に通いました。これは楽しかったらしく発表会で「藤娘」の鬘衣装を着けて舞台に立ったほどですが、三年でお稽古を嫌がって辞めてしまいました。
高学年になるとNETテレビ(現テレビ朝日)中村萬之助(現吉右衛門)の時代劇「ながい坂」に夢中になりました。初代尾上辰之助のNHK「池田大助捕物帳」も好きでした。市川染五郎(二代目松本白鸚)のレコード「野ばら咲く路(みち)」も友人に借りて聞きました。
でも歌舞伎を見に行くほどではなかったのです。
↑白鸚さんが染五郎時代に歌って大ヒットした「野バラ咲く路」試聴もできます。(作詞作曲もご本人!)
はじめての“生”歌舞伎
母校の高校で毎年国立劇場「歌舞伎鑑賞教室」(当時は「高校生のための歌舞伎教室」)ツアーがあり、ツアーに行った親友が市川海老蔵(十二代目團十郎)の「渡海屋大物浦」の平知盛が良かったと言うのです。参加しなかった私は当時の「演劇界」グラビアを見て「行けば良かった」と後悔しました。
未成年一人の観劇は両親が禁止したので、親友家族の歌舞伎座行きに加えて貰いました。
当時は旧三之助(海老蔵・辰之助・現尾上菊五郎)人気の余波と坂東玉三郎ブームの始まりでした。その四人が出演する舞台はテレビと違い、優雅さ絢爛さにガーンッと来ました。

高校生ですでに解説者?
古典教科が得意なのも歌舞伎好きに拍車がかかりました。
《イヤホンガイド解説者のひろば》に掲載したエッセイシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」10本をひとつのマガジンにまとめました。歌舞伎にハマ…
歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #2
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