バーチャル芝居ゆかりの地めぐり ~東京に残る忠臣蔵ゆかりの地~
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バーチャル芝居ゆかりの地めぐり ~東京に残る忠臣蔵ゆかりの地~

イヤホンガイド解説者は、解説を担当する演目について様々なアプローチで取材をしています。ときには、その芝居ゆかりの土地を実際に訪ねることも。そんな芝居にまつわる旅のことをお話する「バーチャル芝居ゆかりの地めぐり」。

12月といえば『忠臣蔵』。濱口久仁子さんが忠臣蔵ゆかりの地を訪ねます。


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文:濱口久仁子


年末が近づくと、歌舞伎ファンの方々は「ああ赤穂浪士の討ち入りの日が近い」と思われることも多いかと思います。
さて東京には赤穂浪士たちのゆかりの地がいくつも残されています。私は歌舞伎のゆかり地を巡るのが大好きです。上野、吉原、浅草、深川などとこれまであちこちを訪ねて歩きました。江戸から東京となっても、街道、河川、寺社などはあまり変わっていません。ですからその地に立つと歌舞伎の舞台背景や人物が移動する距離などが体感できるのです。
今回は大まかにですが、時系列に沿ってその足跡を辿ってみたいと思います。どうぞお付き合いください。

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事件の発端・松の廊下

事件の発端は元禄十四年(1701)三月十四日、江戸城松の廊下で内匠頭が抜刀し吉良に切りかかりました。喧嘩両成敗の御定法に反して、内匠頭は即日切腹。お家は断絶となりました。その後 禄を失った家臣たちの中で、亡き殿の遺恨を晴らすべく大石内蔵助はじめ四十七士の浪士たちが心を砕き知恵を結集させ、元禄十五年十二月十四日、本所吉良邸に赤穂浪士らが討ち入ったのです。彼らが上野介の御首を挙げ、浅野内匠頭の墓前に供えた仇討は、奇しくも四十七年を経て二世竹田出雲・三好松洛・並木千柳の合作により『仮名手本忠臣蔵』となり、後世に語り継がれる作品となりました。

ご存知のように時の幕府は実名での上演を禁じておりましたので、大石内蔵助は大星由良助、浅野内匠頭は塩冶判官、吉良上野介は高師直と書き換えられております。さらに時代、場所も変えられていますが、無論役者も観客も赤穂浪士の討ち入りの話と心得えています。

物語の発端となる松の廊下は江戸城にあった大廊下のひとつです。本丸御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る全長約50メートル、幅4メートルほどの畳敷の廊下で、廊下に沿った襖に松と千鳥の絵が描かれていたことから松之大廊下と称されました。時刻は午前10~11時頃、折しも朝廷からの使者がきている最中でした。内匠頭は、「この間の遺恨覚えたるか」と叫びつつ切りかかり、その場にいた旗本梶川与惣兵衛(加古川本蔵)に抑えられました。後に与惣兵衛は「思わず抱き留めてしまったが、内匠頭は吉良を討ち果たすことができず無念であったろう」と書き記しています。松の廊下は、現在は皇居東御苑内に石碑が建っているだけです。しかし広大な御苑内の一角で、あの刃傷があったかと感慨深く眺めることができます。

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