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歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #11

イヤホンガイド解説者たちが、歌舞伎や文楽の魅力にハマった経緯や芝居への愛を語るシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」。

今回は齋藤智子さんがご担当。意外にも、歌舞伎沼にハマったのはあのタイミングだそうで...? どうぞお楽しみください!

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文:齋藤智子

思い返せば、あのときでした

歌舞伎にはまったきっかけをお話するこの企画。あのとき? この瞬間? いろいろと思いを巡らせてみたのですが、心のそこから歌舞伎沼にハマったなあと実感したのは、2020年3月中旬のことです。なんだか最近すぎません? ええそうなんです。たった1年前、私は、はっきりと歌舞伎の底なし沼にハマったことを自覚しました。

あの日、最寄り駅の改札を出たところで、イヤホンガイドの制作の方からお電話をいただいたのです。

「3月の明治座公演の中止が決まりました」

新型コロナウィルス感染拡大を受けて各劇場の上演中止が決まっていた時期のことです。

私は、明治座の三月花形歌舞伎の解説を担当させていただいていました。演目は『車引』。松、梅、桜の三兄弟がにぎにぎしく、力強く、舞い踊る。歌舞伎らしい一幕です。三兄弟は、彦三郎丈、巳之助丈、壱太郎丈、最後に出てくる悪いヤツ、公家悪の藤原時平は、片岡亀蔵丈。こりゃぁいいや。
イヤホンガイドの制作担当の方にも丁寧にお打ち合わせしていただき、準備万端でおりました。ご見物のお客様と同じ気持ちで、幕があくのを楽しみにしていたのです。

しかし、何回か公演が延期された後、いよいよ中止か決まったという連絡が届きました。中止の連絡を受けた私の声は、うわずっていなかったでしょうか? 心なしか、担当の方の声も沈んでいたような気がします。
とにかく電話を切った後、自分でもびっくりするぐらいショックを受けたのを覚えています。だって生まれてこの方、ずっとずっと、あたりまえのように歌舞伎はやっていたのです。歌舞伎が上演されない世界線など、想像したこともなかったのです。

『孝行したい時に親はなし』っていうのは、ちょっと例が違いますか? 違いますね明らかに。
とにかく「歌舞伎を見ることができない」そう思った瞬間に、逆説的に、歌舞伎への思いが五臓六腑に染み渡りました。

あの時期は、出演者、スタッフ、関係者、そして幕があくのを楽しみにしていた皆々様が、たいへんな状況にいらしたとお察しします。みなさん、あのとき、何をしていましたか?


江戸時代の歌舞伎も、しっかりサバイバルしてきた

私は、歌舞伎が上演されなかった時代のことをググってみました。
江戸時代は、火事や地震で芝居小屋そのものなくなってしまったことが何度かあったのですね。また贅沢禁止令のお触れが出たときには七代目團十郎は江戸を追われたり、河竹黙阿弥が新七と名乗っていた時代、幕末維新の節目も、芝居町にはからっ風が吹いていたりしたそうです。直近では、第二次大戦後しばらくは歌舞伎の上演ができなかったそうで、このとき歌舞伎の復活に尽力してくださったのは、歌舞伎通のアメリカ人、フォービアン・バワーズという軍人さんだったそうです。

戦後歌舞伎座

川瀬巴水 「歌舞伎座」(1951)
ピンチを乗り越え、歌舞伎は戦後も受け継がれてきました。

歌舞伎四〇〇年の歴史のなかで、さまざまな理由から上演ができなくなった時代がありました。でも、そのたびに歌舞伎はバージョンアップして戻ってきました。それこそが、歌舞伎が歌舞伎たるゆえんなのですね。
ありがたいことだなあ。と、いまは当たり前の幸せをしみじみ噛みしめています。

ということで、前置きが長くなりましたが、私が歌舞伎沼にはまる以前の時代について、振り返ってみたいと思います。


オペラグラスなしで見ていた新春浅草歌舞伎

私は12~24歳まで浅草で暮らしていました。老いた祖母と暮らすために父の実家に戻ったわけです。父が子供の頃の、つまり戦前の浅草は、日本で一番繁華な町だったようで、誰を見た、彼を見た、という話をよく聞きました。でも私が子供時代の浅草は、すっかりさびれた、うらさびしい町でした。

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