
わたしの好きな歌舞伎のセリフ#4「冷てぇ手だな」~掌から伝わるメッセージ~
解説者がイチオシのセリフをご紹介する「わたしの好きな歌舞伎のセリフ」。誰もがピンとくるいわゆる "名ゼリフ” ではなくとも、心に沁みるステキなセリフがあります。その中の一つを奥山久美子さんのご案内で紹介します。
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文:奥山久美子
心躍る名ゼリフ
2022年5月、今月の歌舞伎座では、3年ぶりに 團菊祭と銘打っての公演が行われています。團菊祭は、明治時代に新しい歌舞伎のスタイルを取り入れ確立させた九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の業績を称えるため、昭和11年から始まりました。團菊祭では、團十郎家、菊五郎家、それぞれの家の芸と言われる演目が並びます。
今年は、七代目團十郎が制定した18の演目、歌舞伎十八番から『暫』、五代目と六代目の菊五郎が選んだ新古演劇十種のうち『土蜘』、そして、五代目菊五郎の出世作、『弁天娘女男白浪』が上演されています。
『暫』では、主人公、鎌倉権五郎が、花道に続く鳥屋から「しばらく、しばらくー」と声をかけ、颯爽と登場して悪者をやっつけます。そして、『弁天娘女男白浪』では、女装した弁天小僧菊之助の正体がバレて、素性を語る名ゼリフ、「知らざぁ言って聞かせやしょう」が始まると、こちらの気分も高揚してまいります。
このように多くの人が知っている名ゼリフ、というわけではないけれども、自分にとってのお気に入りのセリフがある、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。私にもお気に入りのセリフがあります。それは、『義経千本桜』「木の実」の場面で、いがみの権太が我が子の手を握った時に、口をついて出る「冷てぇ手だなぁ」です。

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『義経千本桜』 ある一家の物語
『義経千本桜』は、源平の合戦で平家打倒に貢献した源義経が、兄頼朝から謀反の疑いをかけられ、逃亡を余儀なくされます。そして、入水して果てたと言われる平維盛が実は生きていた、という設定で物語が進んでいきます。
『義経千本桜』では、源氏や平家に関わりを持つ庶民のお話も描かれています。現在の奈良県吉野にあった釣瓶鮓(現存のお鮓屋さんです)というすし屋の主人、弥左衛門は、維盛の父親、重盛に命を助けてもらったことがあり、恩義を感じて維盛を匿っています。
弥左衛門の長男がいがみの権太で、権太は悪さばかりして父親から勘当され、周りからは悪さばかりするやんちゃな息子、ということで「いがみ」と呼ばれているのです。
いがみの権太は、博打にのめり込み、ゆすりやたかりでお金をだまし取る、といった悪さを働くのですが、まだ幼い自分の息子、善太郎には優しく、一緒に家に帰ろうとせがまれて手をつないだ時、息子のその手の冷たさに思わず「冷てぇ手だなあ」と言って、温めてやろうとするのです。
心を映す 掌の感触
いがみの権太は、その素行の悪さゆえ、父親の弥左衛門から勘当されているのですが、私は、このセリフを初めて聞いた時、「権太は子供の頃、父親から手をつないでもらった時の感触を忘れていない」と確信しました。