忘れられないあの舞台!~襲名披露、賑わいの中に~
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忘れられないあの舞台!~襲名披露、賑わいの中に~

イヤホンガイド【観劇に+αの楽しみを!】

解説者が思い出の舞台について語る「忘れられないあの舞台!」。
今回の担当は三浦広平さん。あの名優の襲名披露興行の舞台を中心に語ります。
さぁ、三浦さんの忘れられない舞台とは…?どうぞお楽しみください。

***

文:三浦広平

歌舞伎の花

と言えば皆さん、どんなものを想像されるでしょうか?
形が猛稽古を経て初役で挑む『娘道成寺』、あるいは脂の乗った中堅同士が『勧進帳』の弁慶と富樫で散らす芸の火
はたまた「〇〇サマを見続けて50年、今はお孫さんと共演することもある年だけど、舞台姿の美しさはずっと変わらない!もうその一挙手一投足におが咲いてます!」とまあ私が書くまでもなく、思い浮かべるもの様々でありましょう。
ところで歌舞伎の大先輩にあたる芸能、お能の基礎を固めた世阿弥がこんな言葉を残しています。

 (桃井かおりよろしく気だるい口調で)
「20代までのうちはね、もう若いってだけでお客さんがついてくれた。ただステージのアタシを見てるだけじゃない、その目がもう〈なんて美しいんだ〉って言ってくれてるの。そういう眼差しに囲まれるあの快感ったらないわよ、思い出しても体が熱くなっちゃう!」
「でもね。そこで〈自分が、自分がナンバーワン!〉って調子に乗って、お稽古を怠ける子はもうダメ。30も半分過ぎた頃には見向きもされなくなるの。そうやっていつの間にか消えていった子たちは、自分が自分がってなりすぎて“時分の花”でおしまい…」

  (ここで煙草に火をつけて、一服くゆらせた後)
「やっぱりこの商売の本当の面白さってさ、40過ぎ、ううん、後輩も育て終わって50が見えてきてからだと思うわけ。そりゃメイクの時間は倍になったし、足も上がらなくなっちゃったけど、お客さんは〈やっぱりマコトさんの存在感はすごい!若い子がどれだけ踊っても真似できない美しさがありますよ〉ってほーら、花束の山で楽屋が埋まっちゃった。これが今のアタシ、マコトしか見せられない“誠の花”…なんてバカ言ってる」

…えーとですね、本当の言葉(※)はご存知の方が多いだろうと思い、あえてだいぶ異訳をしてみまして…編集の人にハネられちゃうかもしれませんが、掲載されましたらお慰みです。

※「時分の花を誠の花と知る心が、真実の花になお遠ざかる心なり。 ただ人ごとに、この時分の花に迷いて、やがて花の失せるをも知らず。」 

世阿弥『風姿花伝』より

私が学生時代お世話になったある先生は「なーに年を取ってチヤホヤされなくなったから負け惜しみ書いたんだよ」と戯作者のようなことを言ってましたが、この芸道と花の成長を重ね合わせた言葉は、芸能ばかりでなくスポーツの世界でも使われたりします。抽象的な表現ゆえに、汎用性が高いのでしょう。
いずれにしても「こういう意味です」と簡単に解説できるようなものではなく、そうした奥行きを感じさせるところを含めて日本文化の本質を捉えている言葉だと思います。
今の歌舞伎界では誰が時分の花、誠の花か…思い浮かべて頂きながら、続きをどうぞ。

花舞台の極付!襲名披露

 さて、そうした時分の花と誠の花が一堂に会する舞台の極め付き、と言えばこれはもうひとつしかありません。襲名披露興行です。特に大名跡の襲名ともなれば、その賑わいは舞台の初日を迎える前から始まります。
私がそのビッグイベントに初めて接したのが平成10年(1998)の正月、十五代目片岡仁左衛門の襲名でした。襲名が発表されると記者会見やお練りなど色々な行事が進んでいきますが、劇場の近くでも、襲名披露という歌舞伎の花が美しく開くための水遣りが、少しずつ行われます。

①スペシャルなチラシ
役者の顔写真と演目、配役を載せたいつものチラシが出来上がる前から、劇場のロビーには家紋をあしらった豪華な見開きのものが置かれます。
そこには襲名の挨拶文、披露狂言と配役、そして歌舞伎座から松竹座、御園座、そして南座と続く興行日程が書かれて、手にするお客さんの高揚感、期待感は早くも高まります。

②切符の争奪戦
今ではWEB予約が主流となりましたが、当時のメインは電話予約です。
ところで当時の歌舞伎座は、縦列の番号がまだ数字でなくいろは順でした。これをオペレーターさんに空いている席を確かめながら予約するわけですが、その際にこんなやり取りをしたものです。

私「じゃあ、ぬ列の24番でお願いします」
オペレーター「塗り絵の、の24番ですね」

もうお分かりでしょう、列の間違いがないように確認するんです。他に
「ルビーの」なんてフレーズを覚えています。
もちろん電話がいつ繋がるかは運次第。この時の予約にどれくらい電話をかけたかは覚えていませんが、歌舞伎の切符は原則として好みの席が選べるだけに、少し時間がかかることは皆さんも経験済みでしょう。ですから通常の興行でも前売り初日は15分~30分以内に繋がれば早い方でした。
おかげで電話を何度もかけ直すリダイヤルの早さはずいぶん鍛えられましたが、もちろん他には何の役にも立っていません。
今から考えればアナログで、笑っちゃいますねぇ。しかし窓口販売しかなかった頃の人気興行は、劇場を何重にも囲むほどの行列ができたと聞きますから、今は便利なWEB予約もやがて「そんな時代もあったねと」名曲の歌詞じゃありませんが、遠い日の思い出になるのかもしれません。

舞台のご馳走

話を変えて、舞台の上の思い出へ。歌舞伎座での仁左衛門襲名は正月と二月の連続興行でした。披露狂言は、正月は昼の部『寺子屋』の松王丸、夜の部『廓文章』の伊左衛門。二月は昼の部が『熊谷陣屋』に夜の部が『助六』と、演目もさることながら配役の豪華さが忘れられません。

『助六』

歌舞伎では主役を演じる役者と同等の幹部、あるいはベテラン格が「え、この人がこんな役を!?」という役で出演することを「ご馳走」と呼びます。スペシャルな公演ならではのお楽しみです。

その意味で、特に印象的だったのが『寺子屋』の涎くり親子でした。松王丸は菅丞相の子・菅秀才の顔を知っていることから藤原時平に命じられ、武部源蔵の寺子屋を訪れ「面改め」つまり手習いの子供の顔を一人ずつ確認します。
その最後が、一番年上と見えるのに一番落ち着きのない涎くり。菅秀才とは似ても似つかぬところから松王丸の同役、春藤玄蕃に頭を扇でピシャリと叩かれ、泣きべそをかきながら花道へ。そこで父親に慰められ、おかしみのある芝居を見せて引っ込む役です。

この時の涎くりが勘九郎、後の十八代目勘三郎。そして父親は名脇役(というより名優というべき人)の二代目又五郎でした。
この二人の親子が実に、実に素晴らしかったんですね。芝居が巧いとかそういう部分もあるわけですが、なによりこのクラスの役者が、この役を演じるという特別感。おかげで、歌舞伎を見はじめてまだ3年目だった私も「こういうほのぼのした親子の存在があればこそ、後で分かる松王丸と小太郎の悲劇がさらに印象深くなるんだ」と気づかされました。
と、ここで蛇足もいいところですが、ちょっとお付き合いを。

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