忘れられないあの舞台!~人気俳優・大川橋蔵の歌舞伎役者としての姿~
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忘れられないあの舞台!~人気俳優・大川橋蔵の歌舞伎役者としての姿~

解説者が想い出の舞台について語る「忘れられないあの舞台!」。
今回のご担当は松下かほるさん。
時代劇でも著しい活躍を見せた名優・大川橋蔵。歌舞伎の舞台で魅せたその姿とは......? どうぞお楽しみください。

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文:松下かほる

老若男女に愛された二代目大川橋蔵

歌舞伎役者として活躍した二代目大川橋蔵の名前をご記憶に留めていらっしゃる方も、今では少なくなっているのではないでしょうか。しかし、橋蔵が後に東映に移り映画の世界でも注目され、更にテレビドラマにも出演し、フジテレビでは「銭形平次」の平次親分を務めて大人気となり高視聴率で長寿番組となったことを、ご記憶の方も大勢いらっしゃるかもしれません。それは、二代目大川橋蔵が歌舞伎ファンばかりではなく、映画やテレビなど様々な分野の老若男女に愛された人気役者であったことの証でもあると言えるのではないでしょうか?

二代目橋蔵の生い立ちはと申しますと、生後間もなく市川瀧之丞という役者の養子になり踊りを仕込まれた後に、四代目市川男女蔵の部屋子を経て、6歳の時に市川男女丸の名前で初舞台。こうして本格的に歌舞伎役者の世界に入りました。そして、名人・六代目尾上菊五郎に認められ15歳で六代目夫人の養子となり、二代目大川橋蔵を襲名したのです。
では、この橋蔵という名前の初代はというと、実は、江戸時代に三代目の菊五郎が一時期名乗っていた名前なのです。また四代目菊五郎は、この初代橋蔵、つまり三代目菊五郎の長女と結婚しています。このように辿ってゆくと、橋蔵の名称は菊五郎と縁が深いことがわかります。

似顔大全 三代目尾上菊五郎・四代目尾上菊五郎・尾上菊次郎 豊国 トリミング

豊国 「似顔大全」
【上】三代目尾上菊五郎(初代橋蔵) 【中】四代目尾上菊五郎

二代目橋蔵の襲名披露興行は、帝国劇場での『鏡獅子』の胡蝶でした。因みに、もう一人の胡蝶は、現在の中村芝翫丈のお父様、七代目福助だったそうです。橋蔵は一つ年下でした。その後も橋蔵は、六代目菊五郎の生存中はずっと生活を共にし、歌舞伎の道を歩んだのです。


思い出の東横ホール

私の橋蔵の思い出は、橋蔵が菊五郎劇団の若手のトップクラスの一人だった頃に始まります。その時には、厳しく芸を仕込み、かつ可愛がって橋蔵を育てた六代目菊五郎はすでに亡くなっていました。

東京で歌舞伎の劇団が、菊五郎劇団、吉右衛門劇団、猿之助劇団と各々が別々に公演をしていた頃、橋蔵は菊五郎劇団の若手の一員として活躍していました。渋谷の東横百貨店の最上階にあった東横ホールで上演される菊五郎劇団若手歌舞伎にも出演していました。興行の「若手歌舞伎」の名前の通り、東横ホールは若手の出演が多く、若手俳優にとっては格好の芸を磨く勉強の場でもありました。一日に複数の演目に出演したり、何人かで同じ役を日替わりで演じあったりすることもあり、体力的にも忙しく厳しい修業の毎日であったのではなかったかと想像されます。

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