《歌舞伎×○○》憧れだった”矢絣”の着物
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《歌舞伎×○○》憧れだった”矢絣”の着物

解説者たちに様々なジャンルと歌舞伎を絡めたお話を語ってもらう《歌舞伎×〇〇》シリーズ!今回のテーマは《歌舞伎×着物》です。
髙木美智子さんは矢絣(矢羽根)の着物になにやら特別な思いを抱いているとのこと。その思い出話をじっくりと語っていただきました。

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文:髙木美智子


幼い頃からの着物好き

私は名古屋市で生まれ、昭和二十年一月二日 五才の時、空襲で焼け出され、瀬戸市(藤井聡太 三冠の居住地)に引越しました。
それからは歌舞伎好きの母や祖母に連れられて、名古屋までお芝居を観に通いました。不思議なことに、小学生の頃は平日の観劇には、いつも母が学校に病気の為という欠席届を出していました。

すっかり歌舞伎好きの少女に育って、中学校(名古屋の私立)へ入ってからは、小遣いの大半は、名古屋の御園座での歌舞伎・文楽・新派・新国劇・前進座などの観劇代に消えてしまいました。祖母は亡くなっていましたが、母は切符代の応援をしてくれました。

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物心つく頃から着物が好きで、幼い頃は毎日 着物を着ていれば御機嫌な私でした。そんな私ですから、記憶にある一番古い芝居『吉田屋』でも紙衣かみこの衣裳が私の心をグッと掴んでしまいました。
その時 私は小学一年生の終わりの頃、一緒に観ていた祖母と踊りの師匠が両側から、イヤホンガイドの解説のように説明をしてくれました。(椅子席ではなく畳の平土間桟敷)。
伊左衛門の着物は紙で出来ている”紙衣”だけれども、舞台では美しいちりめんの着物を着ているのだと、教わりました。鮮やかな紫と黒の伊左衛門の着物の美しさは勿論の事、夕霧の豪華な衣裳、そして段鹿子の炬燵布団など驚きと同時に引きつけられました。

以来 歌舞伎を観る度毎に、衣裳の美しさ、素晴らしさは、歌舞伎をますます好きになる要素の一つとなったのです。


”矢絣”との出会い

中学生の頃、時代物の幕開きに居並んでいる御殿女中達の着る、紫と白の矢絣やがすりに心をひかれました。最近ではトキ色(淡い桃色)無地の御女中が多いように思いますが、昔は矢絣が目立っていたようです。

矢絣は本来、先染めの糸で織った織物(紬や銘仙など)の矢羽根の絣模様を指しますが、歌舞伎では御殿女中も『仮名手本忠臣蔵かなてほんちゅうしんぐら道行みちゆき落人おちうど)』のお軽も『加賀見山旧錦絵かがみやまこきょうのにしきえ』のお初(外出の時)もちりめんに染めた大きな矢羽根模様を”矢絣”と呼んでいます。

私はこの紫と白の矢絣に憧れ、自分でも着てみたいと思うようになりました。けれどもその願いは叶いませんでした。終戦から八、九年しか経っていなかったその頃、私が着たいと思う矢絣の生地は手に入りませんでした。
母からも「舞台衣裳を着たいなんて」と反対されてしまいました。
明治・大正の頃、矢絣の着物に袴というのが女学生の衣裳の定番だったとか⁉昭和の初め頃には、色鮮やかな大きな矢絣が流行した時もあったようですが、私には手の届かない、舞台で観るだけの着物―矢絣は、私の胸の奥に深く仕舞われ、日の目を見ることは出来ませんでした。

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