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《第五回》「勝手に深掘り!歌舞伎・文楽」~「蝶の道行」の元になった騒動は、あの芝居にもつながる?

「イヤホンガイド解説者のひろば」今回は鈴木多美さんがご担当。
これまでの解説経験で「何故?」と思った疑問を、多美さん目線で深掘りする不定期連載企画「勝手に深掘り!歌舞伎・文楽」の第五回をお届けします。

さて、今回取り上げるのは今月国立小劇場の文楽公演で上演予定の『契情倭荘子』「蝶の道行」。ある有名な騒動をテーマにさっそく深掘りしていきましょう。

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文:鈴木多美

文楽『契情倭荘子』とは

今月の文楽公演で久しぶりに『契情倭荘子』「蝶の道行」が上演されます。(※注:東京都に発令中の緊急事態宣言の影響で9日~11日の公演は中止)「契情」と書いて「けいせい」、「倭荘子」は「やまとぞうし」と読みます。「倭荘子」は中国の荘子の教えを日本(大和)の国の草子(そうし……読物)にしたという意味です。荘子は中国の戦国時代(紀元前5世紀~2世紀頃)の思想家で、説話「胡蝶の夢」が有名です。夢の中で蝶になった荘子は、「蝶だったのは夢なのか? 蝶である私が人間の姿の夢を見ているのか?」と考え、姿は変わっても本質は変わらないと説きました。

この作品に登場するのは小槙(こまき)と助国(すけくに)という人物で、二人は蝶に生まれ変わったという設定です。助国のモデルは正徳5年(1715)刊行の「艶道通鑑」に登場する大和の国の佐国(すけくに)です。佐国は花作りに精魂込めて花が好きな女性と結ばれます。夫婦は見事な花園を作り一子を設けましたが、亡くなってしまいます。その花園に番(つがい)の蝶が飛び交い、息子は蝶が両親の生まれ変わりだと思って花園を大事にしました。

『契情倭荘子』は、元々は初代並木五瓶が天明4年(1784)閏正月に大坂で初演した歌舞伎狂言です。上方の歌舞伎はお正月の外題に必ず「けいせい何々」と付けました。この時の道行は宮園節(古い浄瑠璃のひとつ)で演奏されました。古い記録で文政元年(1818)に四段目軍次兵衛内の段五段目の道行だけが人形浄瑠璃に移されました。やがて軍次兵衛内の段は廃れてしまい、道行だけが俗に「蝶の道行」と呼ばれて残りました

そして昭和37年に、歌舞伎として勘左衛門住家花園・大庄屋軍次兵衛住家・蝶の道行の3場が復活上演しました。6代目中村歌右衛門の小槙、7代目尾上梅幸の助国の配役で武智鐵二演出・川口秀子振付の道行が評判となり、「蝶の道行」はたちまち人気曲となりました。

番の蝶が四季の花の中を楽しそうに飛び回ります。蝶の前世は恋人同士でしたが、非業の死を遂げたのでこの世で地獄の責めに苦しみます。寿命を全うした者は極楽に行くチャンスがありますが、非業の死を遂げた者は地獄に落ちるのが定めで、2羽の蝶はやがて息絶えます。2人が非業の死を遂げた理由は、現在前場が上演されないので分かりません。実はこの物語には18世紀中盤に起きたある騒動が大きく関与します。前置きが長くなりましたが、今回はこの「もとになった騒動」について深掘りしたいと思います。

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名誉殺人「源太騒動」

京都一乗寺の庄屋・渡辺団次の息子右内と親戚筋の百姓・渡辺源太の妹やゑが恋仲となりました。やゑの母と兄の源太はやゑに別れろと説得しますが、やゑは聞き入れません。それならばと源太一家は2人の縁組を右内の父親・団次に願いましたが、事情を知らなかった団次は腹を立て息子を親戚に預けて2人を引き離しました。母は源太に「妹を連れて団次ともう一度話し合い、もし駄目ならばやゑを切り捨てよ」と申しつけたのです。源太は団次に掛け合いますがうまくいきませんでした。そして源太は妹を斬り殺したのです。明和4年(1767)12月3日の事でした。

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