歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #20
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歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #20

イヤホンガイド【観劇に+αの楽しみを!】

イヤホンガイド解説者たちが、歌舞伎や文楽の魅力にハマった経緯や芝居への愛を語るシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」。

今回は英語解説者のバニー・ディクソンさんがご担当。実は歌舞伎を演じたご経験があるそうで……? どうぞお楽しみください!

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文:バニー・ディクソン

日本文化との出会い

私が初めて歌舞伎に出会ったのは1968年、13歳の頃でした。私の家族は、父が美浜原発の1号機、2号機の建設に携わっていたため、福井県敦賀市の近くに住んでいました。日本の言語も文化も何も知らずに日本に来たのですが、すぐに日本の文化や歴史にとても興味を持つようになりました。

I first encountered Kabuki in 1968 when I was about 13 years old. My family lived near Tsuruga in Fukui Prefecture, where my father was involved with building the Mihama No. 1 and No. 2 nuclear power plants. I arrived in Japan without any knowledge of Japanese language or culture, but soon became very curious about Japanese culture and history.

敦賀の近くに住んでいた時、私たちは日本の骨董品を集め始めました。ほとんどはお皿で、あとは火鉢のような家庭用品でしたが、それらが実際にどのように使われていたのかはわかりませんでした。ある時、母が私を歌舞伎に連れて行ってくれたので、火鉢が日常生活でどのように使われているのかを目にすることが出来ました。私たちは演劇としての歌舞伎の知識はなく、演目にも特別な興味はありませんでしたが、それぞれの演目で使われている衣裳や家財道具に魅了されました。

While living near Tsuruga, we began to collect Japanese antiques, mostly dishes and some household furnishings such as hibachi, but we had no idea how these items were actually used. My mother took me to Kabuki so that we could observe how objects such as hibachi were used in daily life. We had no knowledge about Kabuki as theater, and no particular interest in the plays, but we enjoyed the clothing and the household items that were used in each play.


はじめての歌舞伎観劇

最初に見た歌舞伎は『妹背山婦女庭訓』です。当時イヤホンガイドはまだなく、歌舞伎についての英語で得られる情報はほとんどなかったので、劇の内容については理解できませんでした。雛鳥と久我之助の死、そして雛鳥の首が雛祭りの人形と一緒に川を渡って久我之助の実家に届けられた時は大変なショックを受けました。私たちはそのシーンが忘れられず、その後もなぜこのような作品が作られたのかを不思議に思って、家族でそれについてよく話をしました。私がこの作品の英語の要約に出会えたのは何年も後の事で、その時にやっと物語を理解することができました。

The first Kabuki play that I saw was Imoseyama Onna Teikin. There was no Earphone Guide in those days, and in fact there was very little information about Kabuki in English, so we had absolutely no understanding of the contents of the play. You can imagine how shocked we were to witness the deaths of Hinadori and Koganosuke, and our shock when the head of Hinadori was sent across the river to Koganosuke’s family, together with her Hina Matsuri dolls. We never forgot that scene and often we talked about it wondering why a play was created about such a thing. It was many years before I encountered a summary of this play in English and finally understood the story.

香蝶楼豊国 俳優似顔東錦絵より「妹背山女庭訓 ゑほし折求女・杉酒屋娘おみわ」


歌舞伎を上演した学生時代

私は最初、美浜町からさほど遠くない、住んでいた農村の近くにある日本の中学校に通っていました。この学校で私は日本語を話せるようになりました。高校生になると、神戸にあるインターナショナル・スクールのカナディアンアカデミーに入学し、平日は寮生活をしていましたが、毎週末に敦賀に戻り、地元の学校の土曜日の授業に出席しました。

At first, I attended a Japanese middle school in a rice village near where we were living, not far from the town of Mihama. At this school I learned to speak Japanese. When I came to be high school age, I was sent to an international school, Canadian Academy in Kobe, where I lived in a dormitory during the week, returning to Tsuruga every weekend to attend class on Saturday at the local school.

カナディアンアカデミーでは、日本文化クラブに入りました。歌舞伎について知りたいと思っていた所、先生が南座の 「顔見世」 を見に連れて行ってくれました。終演後に舞台裏に招待されたのは、とてもラッキーな事でした。そこで六代目中村歌右衛門 、二代目尾上松緑と出会い、歌舞伎への関心がさらに高まりました。その観劇でどのような芝居を観たのかは覚えていないのですが、その頃から演劇としての歌舞伎に興味を持つようになりました。

While at Canadian Academy, I joined the Japanese Culture Club. We decided that we wanted to learn about Kabuki, so our teacher took us to see “Kaomise” at the Minamiza Theater. We were quite lucky because we were invited to go back stage after the performance. There we met Nakamura Utaemon VI and Onoe Shoroku II, and we became even more interested in Kabuki. I don’t remember what plays we saw on that trip, but I know that from that time I became interested in Kabuki as theater.

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