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いま、歌舞伎の“襲名”について考える。

今回の記事は、イヤホンガイド解説歴40年超のベテラン解説者・西形節子さんが担当。舞踊家としても活躍し、著書もたくさん出版されている西形さんが、歌舞伎の“襲名”について語ります。

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文:西形節子

夏の暑さがまだしばらく続きそうな今日この頃ですが、皆様お元気でお過ごしでしょうか。

今年は春から夏にかけて、本来でしたら歌舞伎座で大変大きな襲名興行が行われるはずでした。ご存じの通り、十三代目市川團十郎のお披露目は感染症の影響で先延ばしとなってしまったわけですが、この襲名披露という特別なものに思いを馳せて改めて考えたことなどを、古い記憶を交えながら少しお話しさせていただこうと存じます。

十一代目團十郎の記憶

昭和23年の4月、新橋演舞場で人気演目の『助六』が上演されていました。

戦争で歌舞伎座も焼けてしまって、復興されるまでのあいだは東京劇場(東劇)や三越劇場で歌舞伎が行われていた頃。戦後、歌舞伎座よりも新橋演舞場のほうが一足早く再建されて、そのこけら落とし興行でした。

当時、私はまだ十代。藤間寿枝(ふじますえ)というお師匠に日本舞踊を習っていたのですが、師匠の師匠であるお家元が七代目松本幸四郎でした。
当時は名取試験(※日本舞踊の師範免許をとるための試験)の制度もきちんとしていませんでしたから、新橋演舞場の楽屋で試験をするということになって、七代目幸四郎さんの楽屋を訪ねてそこで踊って見せることになったのです。

まだバラックみたいな仮設の楽屋で、そこに七輪とかを置いて、俳優の皆さんは楽屋で寝泊まりしているような状況のようでしたね。

幸四郎さんは『助六』の髭の意休役で出演なさっていたので、私が踊りを終えて無事にお免状をいただいたあと、すぐにその場でくるりと向きを変えてお役のためのお化粧をはじめられました。それでびっくりしたのが、額の癇筋を指一本で描いていらしたんです。隈取を筆ではなく指で描いていらしたんですね。それがとても印象に残っています。

ちょうどそのときに楽屋の幸四郎さんに挨拶にいらしたのが、九代目市川海老蔵。のちの十一代目市川團十郎です。当時、「海老さま」と呼ばれて大人気、大勢のファンが劇場に詰めかけるというような一大ブームを起こしていたスターでした。思わず、「あ、海老さまだ…!」と心の中でつぶやきました。素顔を拝見したら、白粉をした時の印象からは想像もつかないくらい、意外と色黒なんだなと思ったことを覚えています。

「海老蔵」という名前でいた時期が長く、十一代目團十郎を襲名してからわずか三年で亡くなっていますから、「團十郎」よりもやはり「海老さま」という印象が強いですね。舞台上だととても華のある役者さんなのに、普段のお姿はちょっと陰があるというか地味な感じの方でした。

助六のお役をされている姿がよく印象に残っていますが、この頃の油ののりきった時期の助六は、本当に素敵でした。

十一代目團十郎は、七代目幸四郎の長男

申し上げておきますと、七代目幸四郎と十一代目團十郎(海老さま)の関係性はというと、実の親子です。

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