歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #13
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歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~ #13

イヤホンガイド解説者たちが、歌舞伎や文楽の魅力にハマった経緯や芝居への愛を語るシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」。

今回は英語解説者のマーク・大島さんが初登場。初めての歌舞伎観劇、日本での研究、解説デビューなど、様々な経験について語ってくださりました。どうぞお楽しみください。

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文:マーク・大島


マーク・大島です。1982年春から、英語版イヤホンガイド解説を担当しています。
私が歌舞伎を観始めたときの観劇体験について、ちょっとお話ししたいと思います。自分の中で「良い英語解説とは何か」にたどりつけたのは、歌舞伎を観始めた頃の体験があったからこそだと思っています。

My name is Mark Oshima and I’ve been doing English Earphone Guides since the spring of 1982. I want to talk a little about my first experiences with kabuki and how I think that they have been so important in making it possible to do what I think are good English explanations.

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初来日のときには歌舞伎を観られず...

私は幼い頃から演劇を観たり、舞台に立ったりしてはいましたが、大学生になるまで歌舞伎は見たことがありませんでした。私は1960年にコロラドで生まれ、両親は日本人。つまり日系二世ということになりますが、私の年代で日系アメリカ人二世はあまりいませんでした。ご存じない方が多いと思いますが、1928年から1960年代半ばまで、日本人は特別な許可なしにアメリカ合衆国に入国できなかったのです。そんな中、両親はどうにかアメリカの大学に留学する許可を得て、1950年代に別々にアメリカに渡り、アメリカで出会い、結婚しました。

I’ve been watching and performing theater since I was very young, but I didn’t actually see kabuki until I was in college. I was born in Colorado in 1960 and my parents are both Japanese. This makes me nisei, but there are actually very few American nisei my age. A lot of people might not know this but, from 1928 until the mid-1960’s, Japanese were not allowed into the United States without special permission. My parents somehow got permission to go to college in America, each went separately in the 1950’s, met in America and got married.

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我々家族が日本を初めて訪れたのは1974年、8月のこと。当時、八月は歌舞伎公演が休演だったので、私が日本で観られた演劇といえば、日劇ミュージカルレビュー(松竹歌劇団)のみ。当時、建物に舞台上で火がつき燃える、屋台崩しで有名でした。

The first time we went to Japan was in 1974, but it was in August. In those days, all kabuki was on vacation in August, so the only thing I could see was Nichigeki musical revue and its famous yatai kuzushi where a building catches fire and burns on stage.


高麗屋襲名で歌舞伎デビュー

初めて日本に長期滞在したのは1981~1982年。国際基督教大学(ICU)に留学しました。私はついに歌舞伎に出会い、歌舞伎・文楽・能を観に連れて行ってくれる良い友人たちにも恵まれました。
この年は松本白鸚、松本幸四郎、市川染五郎襲名の年。歌舞伎界の名優たちも皆ご存命で、現役でした。

My first long time in Japan was in 1981 – 1982 when I studied at ICU. Finally I got to see kabuki and I had a good group of friends that took me to see kabuki, Bunraku and noh. This was the year of the Matsumoto Hakuo – Matsumoto Koshiro – Ichikawa Somegoro name taking. All of the great kabuki actors were still alive and active.


耳と目に焼き付いた当時のスターたち

文楽好きの友人の一人は、洗練された芸の名人である竹本越路大夫の大ファンでしたが、私は竹本津太夫の力強さの方がずっと好きでした。それは、私の日本語力が越路大夫の芸術的表現を理解するには不十分だったからかもしれません。

In Bunraku, while one of my friends was a huge fan of the exquisite and elegant performances of Takemoto Koshijidayu, I much preferred the dynamism of Takemoto Tsudayu, probably because my Japanese language ability was not good enough to appreciate Koshijidayu’s artistry. 

義太夫と阿国歌舞伎 トリミング


この頃、ちょうど歌舞伎界では、尾上辰之助に人気が集まってきた頃でもあります。『素襖落』では、踊りの名手として、そして喜劇俳優としての姿を見せてくれましたし、『三人吉三』のお坊吉三でお嬢吉三の尾上菊五郎とともに登場した時には、まるで美男美女のペアに見えました。

Also, this was a time when Onoe Tatsunosuke was a rising star. He was a great dancer and comic actor in his first appearance in “Suo Otoshi” and when he appeared as Obo Kichisa in “Sannin Kichisa” with Onoe Kikugoro as Ojo Kichisa, they seemed just like a handsome pair of lovers.

尾上辰之助丈についてはコチラ!

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