
歌舞伎の沼からこんにちは。~私はこうして歌舞伎にハマった~#23
イヤホンガイド解説者が、歌舞伎や文楽の魅力にハマった経緯や芝居への愛を語るシリーズ「歌舞伎の沼からこんにちは」。
今回は2020年に解説者デビューを飾った立木つねこさんがご担当。
最初の歌舞伎体験は、摩訶不思議な世界だった…?!
翻弄された十代から確信へ変わった二十代のお話まで、どうぞお楽しみください!
***
文:立木つねこ
歌舞伎沼はつかみどころもなく広く深く、おまけに沼に続く道はあちこちに潜んでいるようです。ふとした瞬間、窓を開ければ沼が広がり、角を曲がれば沼につながる。沼に導く水溜まりは逃げ水のような妖気もはらんでいるようで…、いやはや全く困ったものです。不肖私も、一度ならずくり返し沼にハマってまいりました。少しお話ししてみると、こんな感じです。
幼いころ垣間見た摩訶不思議な世界
最初の歌舞伎体験は、祖母の傍らで嗅いだ歌舞伎の匂いでした。明治生まれの祖母は戦前、歌舞伎座に間近いところで商いをしており、頻々と芝居見物に励んでいたようです。私が記憶する祖母はいつも和服姿で、時折ぷかりと煙草の煙を燻らし、当時テレビでよくやっていた歌舞伎中継を見ては、芝居の台詞みたいなしゃべり方をいたしました。まだ幼いチビすけだった私は、膝の上から見上げるテレビ画面の歌舞伎と祖母から漂ってくる濃い匂いを全身に吸い込んで噎せ返っておりました。なんとも摩訶不思議な心惹かれる世界でした。
次の歌舞伎にまつわる記憶は小学校3年のとき。3歳年上の姉の担任が超歌舞伎好きな先生で、卒業式か何かの行事で子供たちに歌舞伎(白浪五人男の稲瀬川勢揃いの場)を演らせたのでした。台詞から動きまで先生ご自身が熱く指導されるのです。ちなみに場所は東京都練馬区、地芝居の伝統など全くない土地です。それでも、姉や母の周辺も皆ざわざわと興奮していて、関係ない私まで、教師の熱すぎるほどの歌舞伎愛がまわりに伝播して繰り広げられる何ともウキウキした躍動感、興奮を感じとりワクワクしておりました。祭りの前後にも似た非日常の世界、足を踏み入れてみたいと憧れざるを得ない世界でした。


『寺子屋』に翻弄された十代
でも、実際に劇場で歌舞伎を見たのは、たしか中学生になってからだと思います。『菅原伝授手習鑑 寺子屋の場』。源蔵が首を討った寺入りの子が、じつは松王丸の送り込んだ実子だったという展開に吃驚仰天、茫然自失。松王丸と一緒に涙が止まらなかったことは鮮明に記憶しているのですが、残念なことに、一体どなたが演(なさ)っていたのかは全く覚えていません(笑)。
それからほどなくして文楽でも『寺子屋』を見まして、全身で語り上げる太夫・三味線・人形の凄さに深く揺さぶられ、「こ、この人たちは一体なんなのだ?!」と圧倒されました。文楽に対する基本的なその想いは、今に至るまで全く変わりません。
ところが、高校生頃でしたか、またも『寺子屋』を見て、少々理屈っぽくなっていた思春期の私は、『寺子屋』の筋立てをなんだか話がオカシイと感じたのですね。「なんでそうなるの? 自分の子どもを犠牲にして主君に仕えるって何?」と思ってしまい…少し心が離れます。幼い頃とてもシンプルに歌舞伎の匂いに心を震わせていたのとはちょっと違う感慨でした。いま思えば、十代のころ『寺子屋』に翻弄されたわけで、少し笑えます。